amok デザイナー 大嶋祐輝
Image by: FASHIONSNAP
「アモク(amok)」は、2015年にデザイナー 大嶋祐輝が立ち上げたメンズブランド。2025年秋冬コレクションの発表で10周年を迎え、2月にブランド初となるショーを開催する。この10年間に、コロナパンデミックやSNSの普及など、ファッション業界を取り巻く環境は大きく変化した。変化の渦中にいたデザイナーは、インディペンデントを貫きながらもブランドを続けるために何が必要だったのか。クリエイションとビジネスを両立するに至るまでの葛藤と転機、現在までを振り返る。
◾️大嶋祐輝(amokデザイナー)
1986年 群馬県高崎市生まれ。東京モード学園卒業。「ミハラヤスヒロ(MIHARAYASUHIRO)」(現 メゾン ミハラヤスヒロ)、「アンリアレイジ(ANREALAGE)」でパタンナーを経験。2015年に「古き良きものを壊し、新しい技術などを用いて、人間の奥底の感情に響くような洋服をデザイン」をコンセプトとする自身のブランド「amok」をスタートした。
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「面白いことをしているのに、なぜうまくいかないのか」理由に気付くまでの5年間
⎯⎯ ブランドを始める前はどんなものに影響を受けましたか?
高校を卒業後、進路を考えたときに「洋服のデザイナーになりたい」と思い、東京モード学園への入学を機に上京しました。当時はSNSのように情報が飛び交う時代ではなかったので、よく古本屋に行ってリサーチをしていて。そこで「ジャップ(zyappu)」*という雑誌に出会えたことが大きかったです。
1980年代から90年代に活躍した「マルタン マルジェラ(Martin Margiela)」、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」、「ナンバーナイン(NUMBER (N)INE)」、「シンイチロウアラカワ(SHINICHIRO ARAKAWA)」などの特集が組まれていたのがとても刺激的でした。特にシンイチロウアラカワのキャンバスに貼り付けた布が服になるコンセプチュアルな作品や、アンダーカバーのレリーフ期(一度装飾を縫いつけて加工後、装飾を外し「アタリ」を魅せる)のテキスタイル表現からは影響を受けましたね。ファッションという固定概念から外れたところの魅力を服の中で表現することに惹かれました。
*ジャップ:フォトグラファーの伊島薫が手掛けた前衛的なファッション雑誌。日本発のアイデアやオリジナリティを世界に向けて発信することを目指して1994年1月に創刊し、約5年間で終了した。古田泰子の「トーガ(TOGA)」はブランドデビュー前に誌面を飾っている。
⎯⎯ ブランドを始めたきっかけは?
アンリアレイジが発表した2009年春夏コレクション「○△□」を見た時、雑誌で見た1990年代のブランドと同じ衝撃を受けました。その初期衝動そのままに直接ブランドに電話をしたら、たまたま出たのが森永(邦彦)さんで。パターンの試験を受けたのちにチーフパタンナーとして働くことになりました。アンリアレイジがパリに行くまでの4年間コレクションのパターンを引いていたので、その経験が自信となって2015年に退社し、ブランドを始めました。
⎯⎯ ファーストコレクションをはじめとする初期の作品は、現在とはだいぶテイストが違いましたよね。
これまで培ったパターンの技法や古着の魅力的な要素、音楽だと1950年代後半のロンドンのモッズカルチャー、最新のテクノロジーなど、自分の中に溜まっていた好きなものを全部吐き出すように作ったのがファーストコレクションでした。例えば、ハンティングジャケットのショットガンの弾を入れるポケットを鍵の形に変え、レーザー加工で古着のボロのようにしたり。1着に込めるデザインと想いを詰めまくりましたね。
いまになって見ると、「いろんなことをやりたい」と意固地になっていて、表現としては不器用だなと感じます。「1着に想いを全て詰め込むだけ詰めたデザイン」という(笑)。ただ、ハンティングをモチーフにした理由は「意味のあるデザイン」だから。古着は、そこに意味があるから残っていくし、愛されていく。音楽もアートも、存在する意味があるからこそ時空を超えて僕らに伝わっているのだと思うし、ファッションにもそのパワーがあると信じているんです。“人々の記憶に残るもの”を半年に一度作る作業は本当に大変ですが、だからこそ魅了されるのかもしれません。
⎯⎯ ルックブックにもこだわっていますよね。
ショーをやる規模も資金もない中で、服以外で表現をするとしたらブックだろうなと考えました。見てくれる人を楽しませたくて、テーマに沿った仕掛けを施しています。ファーストコレクションは「スクラッチ」がテーマだったので、削らないと見えない仕様にしたり。2017年春夏コレクションは「ニューオールド」をテーマに、新しい技法と古い技法を融合させたコレクションだったので、ブックを観音開きのようにして、左右で1枚のルックの中に新旧を表現しました。
⎯⎯ 立ち上げ当初からブランドコンセプトの中に「新しい技術の活用」を掲げているアモクですが、ファッションテックという言葉が出始めたのは2012年頃。レーザーカッターやテキスタイルプリンター、3Dプリンターを誰もが使用できるモノづくりのコワーキングスペースが登場したのも同時期です。でも、当時はまだテクノロジーに対して業界内で「活用方法がわからない」という雰囲気がありました。
そうですね。新しいことに挑戦する工場や職人たちに興味があり、その技術をどう発展させていくかがデザイナーの役割だと考えていたので「古き良きものを壊し、新しい技術などを用いること」をブランドの武器にしようと。先ほども挙げた2017年春夏コレクションの「ニューオールド」は一番それがわかりやすいシーズンで、レーザーカットしたナイロンとスエード、フェルトをボンディング圧着するという新しい技法で作った迷彩柄と、従来の迷彩柄の古着を組み合わせてみたり。レーザー加工は以前からお世話になっていた工場さんと実験を始めていたので、自分の中のアイデアと技術が自然とつながったのかなと思います。
⎯⎯ビジネス面での当時の状況は?
2年目が大きな壁でした。多くのブランドがそうだと思いますが、デビューコレクションはお祝いとして関係者たちが買ってくれるので、ありがたいことに経営が成り立ってしまうもの。でも2年目以降はそうはいかなくて、徐々に経営が厳しくなっていきました。
当時の僕は「面白いことやっているのになんで」と、うまくいかない理由がわからなかったけれど、結論を言うと「アモクって面白いことやってるよね」で終わってしまっていた。そこに気が付くまでに5年かかりました。2020年まではコレクションをキャリーバックに詰めて地方のセレクトショップに直接持っていってはまた作って、地方行脚の繰り返しでしたね。行動と裏腹に売上は伸びず、その答えがわからないまま低迷を続けていました。ただ、「やめよう」とは一度も考えたことはありません。地方のバイヤーさんからアドバイスをもらい、お客さんに知ってもらうためにノベルティを作って、なんとかブランドを維持するためだけに注力した時期もありました。
「売れる=伝わる」という発見
⎯⎯ ビジネスとして五里霧中だったところを突破できたきっかけは?
ブランドを始めて5年目に、コロナのパンデミックに直面したのが大きかったです。もともとセレクトショップに卸していた商品の数が少なかったので、ブランドは大きく打撃を受けることはありませんでしたが、セレクトショップの方が大変な思いをしていました。なので、日頃の感謝の意味も込めて少しでも売り上げにつながればと在庫を送ったり、残布でマスクを作ったり、「お店のためになにか還元できないか」と考えるようになりましたね。この経験から、モノづくりとしてこだわりを持つことは大事だけど、それと同じくらい買ってくれるお客さんが喜ぶモノを提供することも大切なのだと気付き始めました。
⎯⎯ 1着に込める熱量やこだわりと、購入者に喜んでもらうことのバランスをとり始めたんですね。
そうですね。服を通じて対話ができることもファッションの面白さだと思います。例えば僕も「あのブランドのあのシーズン持ってるよ」とか「このシーズンのアイテムと合わせたら良いよね」といった話をしますし、ブランドが歴史を重ねればそういう対話ができるようになる。アモクでもこうした対話をお客さんたちと楽しんでいきたいとも思ったことも、モノづくりの姿勢を変えるきっかけになりました。
⎯⎯ 具体的にはどういった点が変化したのでしょうか?
立ち上げ当初は“わかりやすい表現”を避けていました。それこそ、ファーストコレクションでは「僕が作りたい要素」を100%込めて、真摯に1着1着向き合って丹精込めて作ることが正義だと信じていたんです。言い換えれば、ファッションに重きを置いていない第三者に「ブランドを伝える」意識が足りなかったということですね。
「売れる=伝わる」ということに気が付いてから、「真摯に作る」ことと「真摯に伝える」ことに向き合って最初に製作したのが2020年春夏コレクションのジャケットです。手縫いのステッチをレーザー加工で表現しつつ、わかりやすく手作業の可愛さや温かみを残したところ注目されて人気アイテムになりました。レーザーカットを使った表現はこれが正解なんだ!と気付かされましたね(笑)。
⎯⎯ 現在このディテールはブランドアイコンのひとつになってます。このほか、刺繍やニット類もこの頃から登場して人気を集めていますね。
コロナと同タイミングで、以前ブランドでお世話になった先輩からアドバイスをいただき、企画を考えるようになりました。デザイン画などを見せた際に「もうそろそろこういうのもやってみれば」とアドバイスをもらったのが、マリリンモンローの顔を手刺繍のように表現したニットです。僕自身はニットが好きで良く着ているんですが、ブランドがこだわっているハイテクな技法と相性が良くなかったので作ってきませんでした。でも「そろそろ好きなものに素直になってもいいのかな」と、作ってみたところ好評でブランドのアイコン的な存在となっています。
⎯⎯ コロナ禍中は外出が制限され、業界全体がファッションの価値や意味に立ち返った時期でもありました。
そんな中で、ファッションが楽しいと感じられるものって手編みのニットのような「クラフト感」があるものだったことを覚えています。人の温かみを感じられるファッションの魅力が再発見されていた時期であり、僕自身もその感覚に気づいたことが大きなターニングポイントになったと思います。
⎯⎯ ブランドの雰囲気は変わりましたが、現在まで変わらない点を教えてください。
一貫しているのは「手作業」です。レーザー加工やシームレステープといった最新のテクノロジーを活用していますが、それは楽をするためじゃない。全て手間ひまをかけないと完成しない仕様になっています。もちろん影響を受けた1990年代のブランドの存在もありますが、僕のスタイルのルーツはロンドン音楽から生まれた1960年代のモッズから1970年代のパンクなんです。特に1970年代パンクは不景気とともに生まれたカルチャーで、資本主義に抗うため、手作業でスタイルを作っていったという部分に魅了されていました。だからどんなアイテムでも手作業を取り入れることにこだわっていて、そう言う意味ではニットが一番伝わりやすかったんだと思います。
⎯⎯ 変わったというより「垢抜けた」という感じですね。
僕はいろんな表現に挑戦したいタイプなので一見わかりづらいかも知れませんが、やってることは一緒なんです。2017年秋冬コレクションで発表したコレクションピースでは、東北の古着屋で手に入れた刺し子が施された約100年前の襤褸(ぼろ)生地と、レーザー加工でデニムを襤褸風に加工した生地を合わせました。クラッシュやツギハギ、刺し子はパンクの代表的な表現だし、2024年にゲルニカというアーティストとコラボレーションして製作したジャケットもハンドペイントの手法を採用していてパンクと通じます。アイテムの印象は違えど、パンクスから受け継いだ手作業の哲学は変わっていないんです。
⎯⎯ ブランドとしては苦節の時期でしたが、初期に刺し子やクラッシュ、ツギハギ、労働着などパンクスのルーツを通ってきたからこそ、近年のハンドメイドのキャッチーな表現も広く受け入れられているのかもしれませんね。
そういう意味では有意義な5年間だったと思います。もしグラフィックから始めていたら、刺し子やツギハギなど狂気じみたものは作れなかっただろうし(笑)。パンク好きとしてはやっぱりバックグラウンド自体が“強固”なものを作りたいので、玄人にしか伝わらないものから始めたのは間違っていなかったなと。工場の職人さんと信頼関係を築けたのもブランドにとって大きかったと思います。
デザインの基本は、“利他的”な行為である
⎯⎯ 様々な葛藤を乗り越えた大嶋さんの立場から、ファッションデザイナーを志す後進にアドバイスをお願いします。
「雨垂れ石を穿つ」という言葉がありますが、まさに僕の10年間とリンクしているようで、改めて素晴らしい言葉だなと。僕は、他と違う武器を見つけて花開くまでに多くの苦労と時間を必要としましたが、だからといって「誰しも苦労した方がいい」とは全く思っていなくて。
10年経って言えることは、まず1人でブランドを続けることは絶対できない。いろんな人との関わりがあってここまで来れました。時間はかかるかもしれないけれど、ファッションでやりたいことを理解してくれる人は必ず現れる。SNS時代なので僕ら世代よりも「伝え方」は多様にあるし恵まれているんじゃないかな。
デザインの基本は誰かを思いやる利他的な行為だと思っていて「売れる=マーケティング」という意味ではなく、誰かを喜ばせるために作ることを考えていれば共感してくれる人が集まってきます。クリエイションの話で言うと、自分なりの武器を見つけて真摯に実直にモノづくりに向き合うことが重要。例えばどうしてもこだわりたいデザインとか、誰もやったことない新しいこととか、そういった時に工場の職人さんから苦い顔をされることもあると思います。でも、モノづくりに真摯に向き合ってることが伝われば協力してくれます。やるからには意味のあるデザインであることは大前提で、お客さんに買ってもらって実績を作ることがデザイナーとしての責任。周囲の人を大切にして、工場や職人さん、セレクトショップなどの取引先に還元することが信頼関係に繋がり、ブランド継続に繋がっていくんだと思います。
⎯⎯ これから目指すものを教えてください。
デビューからの5年間は、服作りという“ブランドの内側”に力を向け、5年目から10年目までは「伝え方」や「お客さんが喜ぶモノ」という“ブランドの外側”に目を向けてきました。その両輪があったからこそ、ここ数年は様々なアーティストとコラボできたのだと思います。売り上げが伸びたからこそ、工場さんも新しい加工や難しい仕様にも挑戦してくれて、表現の幅も広がってきています。ブランドとしての成長を実感できている今だからこそ、ショーへのモチベーションが高まりました。これからの10年は、世間が求めていることをキャッチしながら、自分がやりたいこととバランスを取り、クリエイションをブラッシュアップしていきたいですね。
⎯⎯ 2月6日に控える、ブランド初の単独でのショーへの意気込みは?
これまでブランドを支えてくださった工場や生産の皆さん、そしてショップのバイヤーさんなど、いつも見てくれている関係者の方々に恩返しをしたい気持ちと、ブランドをより多くの人に知ってもらいたいという2軸の気持ちを込めて、10周年の節目にショーを開催することにしました。面白い仕掛けも考えているのでぜひ楽しみにしてください。
coconogaccoでファッションデザインを学ぶ。2013年よりテキスタイルプリンタや刺繍ミシン、レーザーカッターといった機材のオペレーションや現場での運営に携わる。
2017年にジャーナリストとしてフリーランスでBRUTUS、WWDJAPANなどに執筆や企画提供。またDJとして2020東京パラリンピックの開会式に出演。
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