2021年4月に新宿区百人町にオープンしたアートスペース「ホワイトハウス(WHITEHOUSE)」は、かつて「新宿ホワイトハウス」という名前だった。1960年、日本のアートシーンを語る上では欠かすことのできない美術家 吉村益信、篠原有司男、赤瀬川源平らが前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成し、その活動拠点とした新宿ホワイトハウスは、61年の時を経て「WHITEHOUSE」というかたちで蘇った。アーティストコレクティブChim↑Pomの卯城竜太、アーティスト 涌井智仁、ノマドギャラリー「ナオ ナカムラ」の中村奈央の手によって開館した同スペースは、オープン前から2種類の「パスポート」を300部のみ発行。パスポート購入者だけが企画展や常設展を観賞できる会員制度を採用した。
現在開催中のアーティスト磯崎隼士の個展「今生」は、同スペースがオープンしてから初めて一般公開される企画展となる。卯城、涌井、中村の3名は「美学校」で出会い、その制作態度は現代のアートシーンや、世の中への問いかけを強く感じさせ、その様はネオ・ダダのような前衛的な態度を思わせる。「閉ざすでも、開くでもなく『開いている(あいている)』という穴のような場」と話す3人。アートスペースという「誰にでも開かれているべきもの」というイメージを覆すWHITEHOUSEが、場を閉ざすパスポート制を採用したのは、その先にある「究極に開かれた場」のためだった。
卯城竜太
1977年、東京都生まれ。2005年に東京で結成したアーティスト集団Chim↑Pomのメンバー。2021年10月21日から森美術館で、Chim↑Pom結成以来初となる展覧会形式での大回顧展が開催される予定。
涌井智仁
1990年、新潟県生まれ。美術家。音楽家。
中村奈央
1990年生まれ。2012年、場所を持たないノマドギャラリーとして「ナオ ナカムラ」をスタート。展示の際はスペース名がギャラリー名に冠される。これまでに50以上の展覧会を企画、開催。
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僕らが媒介になるくらいが良い
ーまずは3人の出会いと、関係性を教えてください。
卯城竜太(以下、卯城):僕が、神保町にある「美学校」で、天才ハイスクール!!!!(以下、天ハイ)という講座を持っていたんです。わっくん(涌井智仁)だけは最初から最後まで授業料を払ってくれなかったんですよ(笑)。
涌井智仁(以下、涌井):見学だったんですよ(笑)!
中村奈央(以下、中村):わっくんって何期生なんだっけ?
涌井:俺は2期生かな。
卯城:お金、払っていないけどね。
涌井:それはずっと謝っているんで、許してください(笑)!
卯城:奈央ちゃんも別の講座の生徒で。アシスタントという立ち位置で色々手伝ってもらっていたんです。2012年にノマドギャラリー「ナオナカムラ」をオープンしてからは、奈央ちゃんが独自でアーティストを引っ張ってきたりするようになって。いま活躍している若手らの初個展を手掛けてきて、重要なスペースになっているんですよね。
ーなるほど。では、スペース「WHITEHOUSE」立ち上げの経緯は?
中村:遡るとここは、1957年に美術家 吉村益信が、建築家 磯崎新に依頼して建設された「新宿ホワイトハウス」という建物でした。その後、赤瀬川原平や篠原有司男らと共に前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」をここで結成しています。
卯城:吉村さんが新宿ホワイトハウスを売却してからの紆余曲折経て、2013年から「カフェ アリエ」というカフェに。Chim↑Pomのエリイの夫で、現在もここの家賃を払ってくれている手塚マキさんが、「もしここの場所を出る時があったら教えてください」と店主にお願いしていたんです。そしたら、本当に電話がかかってきて。そこからはChim↑Pomのスタジオとして使わせてもらっていました。
涌井:卯城さんと僕で別の展覧会を企画していた時、「あそこのスペースで何か面白いことをしたいね」という妄想みたいなことはしていましたよね。
卯城:そうだね。僕自身が「このスペースはもっと若手に使われるべきなんだろうな」と思っていたんですよ。だからまずはわっくんに相談していて、その後ナオナカムラで百戦錬磨になっていた奈央ちゃんをお誘いしました。
卯城:そもそもこの場所は、僕たちの大先輩であるネオ・ダダの活動拠点だった。であれば、これからは若手たちがここで何かをやっていった方がいいだろうし、僕がネオ・ダダから若手への媒介になるくらいが良いかなと思ったんですよね。わっくんは、未知数だけど独自の芸術感をもっているような人たちとの繋がりが濃かったし、奈央ちゃんが見つけてくるような若手もこれまで面白かった。そういう人たちに会いたいな、と思ったんでしょうね。
涌井:ここをリノベーションした建築コレクティブ「グループ(GROUP)」も建築界では最若手だと思います。個展もやってもらう予定です。
本当に面白いことをするための「共犯関係」
ー新宿ホワイトハウスから、WHITEHOUSEになる過程でどれくらいリフォームされたんですか?
卯城:建築的には磯崎新さんの処女作として重要なものなので、すぐにでも元に戻すことが出来ます。窓枠とかカウンターを外しさえすれば原状復帰が可能。グループも、そこに気を使ってました。
ー「新宿ホワイトハウス」から「WHITEHOUSE」へ。名前を残しているのは、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの拠点であった、という場所性へのリスペクトなんでしょうか?
卯城:そういうわけでもないんですよ。もちろん当時のことはすごい勉強しましたけどね。
涌井:むしろ、ネオ・ダダ的なモノはずっと僕らの参照元というか。美学校から僕のキャリアは始まっている、ということを考えるとネオ・ダダは創作活動をするにあたって、大部分を占めるくらいでかい存在なんですよね。「ここでネオ・ダダの人たちは活動をしていたのかー」とはもちろん思いますけど、いい意味でそれ以上でもそれ以下でもない。相変わらず、すごいことをやっていたんだな、と。
ネオ・ダダの中心メンバーでもある赤瀬川原平は、美学校で講師を務め、同校のロゴデザインも手掛けた。
中村:確かにわっくんの言う通り、意識するモノは特にないけど、自分にとって当たり前であり大本であるが故に、大きすぎて認知できないというか……。私たちが始まっている場所とでも言えば良いんでしょうかね。
涌井:僕たちが「美術だ」と思ったものは、こういう人たちだったんだよね。
卯城:それに今、ネオ・ダダみたいな人を探してもしょうがないし、「いないかな」とも思う。ただ、ここに彼らの痕跡はマジでリアルに残っているので保全はしていきたいと考えています。
ー同スペースは、300部限定で発行された「パスポート」保有者のみが入れる、完全会員制のギャラリーになっています。
涌井:普通に今、面白いことをやろうとしてもすごく難しくて。つまり、観客にノンリスクでいてもらうと面白いことが出来ないな、と思うんです。何をやっても引用される時代。すぐに拡散されて、本当に面白いことをするためには共犯関係じゃないですけど、一緒に付き合ってもらう必要性があるなと考えたんですよね。
ー卯城さんのステイトメントには「観客と大衆」について書かれています。
現在、至る所でその秩序は逆になり、アートは大衆に認められたコンテンツとしてパブリックを装っている。「大衆」という漠然としたモンスターを、「観客」であると勘違いしてはいけない。「前衛」が戦場で命と差し替えて最前線で闘う姿なのだとして、であればこそ大衆が安全圏にいられるのだとしたら、両者で見識と常識をすり合わせようとする今の「アートシーン」に、前衛はない。我々は「観客」と「大衆」を切り離さなければならない。民意を隔つWhite Houseの塀の中に入るべきは最前線のリスクで昂まる「観客」なのである。
ーーWHITEHOUSE オープンに際しての卯城竜太によるステイトメント
卯城:対外的には大層なことを言っていますが、同時に個人的に大事なのは、まずはここは普通に「家」であることなんですよね。例えば、個展を開く作家のほとんどがしばらくの間、ここに暮らす。僕自身もここに半分は住んでいるくらいに家なんです。家に誰でも入れるっていうのはちょっと違うかなという気持ちはあった。パスポートを持っている人たちは、僕たちに顔写真とか免許証のコピーとかを全部預けてくれている分、信用しないわけにはいかないと考えています。
対話は必要ない。作品や展覧会を通して、そこから対話は作ればいい。
ースペースをやるにあたって「一般に開かれていないのはどうなんだ」という意見はもらいませんか?
卯城:もちろんもらいます。その中でも面白かったのは金沢21世紀美術館館長の長谷川祐子さん。「私はめちゃくちゃに開かれた場所でやってきたから」と最初に言われていたんですけど、展示を見たら「私もここで何かやらせて」と(笑)。ただ、僕は、Chim↑Pomで「閉ざされてきたアートを公共や一般に開いてきた」という自負があります。それは多分、他のほとんどのアーティストと比較しても、やってきた方だと思う。今もWHITEHOUSEをやりながら、森美術館の回顧展を準備していますし。だから「卯城さんがなぜ、閉ざされた場所を?」と思う人たちはいるだろうけど、その「なぜ」をむしろ考えて欲しいとは思います。
卯城:昔は、アートが社会化されていなかったこともあって、開かれた場所にアートが介入するだけで化学変化というか、面白い現象が生まれていたと思うんです。でも今は芸術祭などの台頭で、アートがめちゃくちゃ開かれているし、社会化もされている。当然そういう中で主催者側が、社会寄りというか「一般」の声を気にするようにはなりますよね。それが観客であろうと、なかろうと。多くの規制や妥協はそういう曖昧な中で生まれてきているし、その配慮をアーティストもやっているうちに内在化しすぎてしまう。
涌井:地方芸術祭などの思想は基本的には、作品を通して「対話が必要だ」という発想なんだと思うんです。僕はそういう「対話」は必要ないと考えています。普通に僕らが作った作品や展覧会を通して、そこから対話が「生まれるかもしれない」ってことでいいんですよ。個人的には「地域活性化」とか「参加」とか「実装」とか言われているような、アートという題目を立てるためだけの「対話のルール」があるのはいやらしいな、と。そんなことばかり言って慮ってばかりいるから、アートも社会も単純なものになってしまう。
ーパスポート制のルールは、スペースをオープンするにあたって最初の段階から決まっていたんですか?
卯城:わっくんから提案されて「なるほどな」と。その時、奈央ちゃんとか、ギャラリーを運営している人たちに「ギャラリーで展覧会を開くにあたってどれくらいの来場者があるの?」と聞いたんですよ。そしたら「来る時でも200人くらい」と。
中村:多く見積もっても200人くらいなのに、開きまくっている場にすることに対して疑問を抱いてしまう気持ちも、まぁなくはないですよね。
卯城:それくらいの規模感だったら、関係性としてもっと密になっても良いのかなと。「モナリザ」が一番わかりやすい例ですが、かつてはダ・ヴィンチが閉じた場所で独占していたけど、今はルーヴル美術館というすごい開かれた空間で展示されている。作品って結局どんなに閉じた場所に置いていても、最終的にはものすごく開かれるという特性があると思うんです。始まりが閉じたものだったとしても、作品はいつか必ず開かれていく。
涌井:究極は「『いつかは開かれていく』ということ以外は開けない」ですよね。僕らがどれだけ「開いています」と言っても200人なわけだから。それに、仮に会員ではない人がWHITEHOUSEに訪れたとしても「このスペースは会員がいる空間」と思って入ると思うんです。その点では、会員がいる空間と、会員がいない空間とは明確に違う。つまり、このスペースは「部分的に必ず閉じていることが保証されている空間」。何が言いたいかというと、オルタナティブギャラリーは「そもそも内輪」なんじゃないかなって。いつもみんな200人の内輪でやっているんですよ。だけど、それをみんな言わないというか。自覚していないだけで内輪なんです。
卯城:それなのに、一般に向けている感じを出さないといけないからステイトメントで一般に向けた意義を語ったりする必要が出てきて、それを努力してしまう。でもレギュレーション的な問題を考えると、それは表現にとってリスクにもなりますよね。そうやって強度の無い作品が生み出されても、それはモナリザを例に出すまでもなく、最終的に生き残り、「人類に開かれる」ことは出来ないんじゃないでしょうか?
中村:内輪だとしても会員制にすることで来やすい人も少なからずいて。ギャラリーって常にオープンしている分、いまいち行く意義が見つからないと感じている人もいると思うんです。「お金払っているからには積極的に見なきゃ」という行く意義を与えられるという側面もパスポートにはあるのかな、と。
卯城:今年の4月からもう3本の展示と複数のイベントをやっていて。今生展は「009」番目として明記しているんですが、多分1年間で相当な数になると思います。1万5000円でこれだけの展示を見られるなら安いと思う。
涌井:まだ3ヶ月も経っていないのに詰め込みすぎたね。
中村:あとは、普通に金銭面的なところでも助かる部分はありますよね。電気代とかすごく高くて。
卯城:それでも僕らのギャラは出ないくらいですよ。
涌井:ギャラリーやアートスペースを運営している人たち、どうやってマネタイズしているんだろう。
ー究極に開くために閉じる、という意味合いがパスポートにはあるんですね。
卯城:そこはオンラインサロンと違うところですよね。オンラインサロンは、誰でも来てよくて、人数が増えれば増えるほどお金になるから良いけど、僕たちは「最初から300人です」と言ってアンダーグラウンドで本気でいられるくらいの人数に絞っているので、それに呼応してくれる人たちではあると思います。
中村:展覧会が開催されている時、普段は私たち主催者や、個展をするアーティストがここに常駐しているんですが、もちろん個々に忙しいので誰もいない時があるんです。でも、防犯的にも誰かがいる方が当然良い。そういう時、パスポートメンバーにスペース管理をお願いすることができる。WHITEHOUSEや、この建物、歴史を理解してくれるメンバーが多いからこそある意味安心して頼めることだな、と。
卯城:一緒に運営管理していくこともできる可能性がある空間だなとは思うよね。
涌井:パブリックを考えるためや、開くための方法論が、もっと複数化されていた方がいいと思うんです。そのための一つのやり方として閉ざされた空間があるな、と。例えば新宿に「デカメロン」というギャラリーがあるんですが、このギャラリーは「酒場」としても機能しているので、メインストリームで当たり前とされているようなルールや、作品の見方をしなくてもいいんですよね。つまり、閉ざされている分、自由な場が担保されているんです。僕は、閉ざされた小さいものが複数あった方がむしろ開かれていくし、多様化されていくし、最終的にパブリックが豊かになると考えていて。WHITEHOUSEやデカメロンのような場がもっとあっても良いと思うし、実際増えてきているなと思っています。「多様性」という言葉がむしろ社会を単純化させていて、複雑なものが理解されなくなってきているっていう危機感がずっとあって。そのノリに抗うためにも「閉ざすことで開く」ということをしないと、一過性のお祭り騒ぎでむしろ対話にもならない、あいちトリエンナーレのようなことが起きるのかな、と。
WHITEHOUSEでは、カウンター併設のバーも用意。パスポート保有者ではなくてもバーの利用は可能。※不定期営業
一番大事なのは、一般に配慮しすぎるような余計なレギュレーションを無くせること。
ー7月3日から7月23日まで開催されている、アーティスト磯崎隼士の個展「今生」は、スペースがオープンしてから初めて一般公開されている企画展です。
卯城:「このタイミングで一般公開しよう」という戦略的なものではなく、この展示だから一般公開にしました。隼士くんと打ち合わせをしてきた場所は鷹取山の山頂。昼間から日没まで数時間過ごすんですが、そこから見える世界の景色は、自然光で明るくなったり真っ暗になったり、昼間と夜ですごく見え方が変わるんですよ。そういう中で隼士くんが作っている作品や感覚を、キュレーションするにあたって「ライティングをしないことだな」と思い、外光のみを灯りとして使用することにしました。外光だけでやるなら、営業時間は24時間だな、と。
卯城:閉ざすでも、開くでもなく「開いている(あいている)」という穴のような状態はこの世界そのものだなとも思います。ただ「あいている」という状況は、外に向けて開かれているわけではないので「ぜひ来てください!」というニュアンスもない。そこに入るも入らないもその人次第だし、そういう穴みたいな場所になっていると思っています。ただ、もちろん展示やイベントごとにゲストも入れるし、一般客を有料にして入れることもあります。イベントによっては一般客を対象にすべきものもあるし、何なら次の展覧会や、夏に考えているフェスも会員の方とは何かしらの区別をつけて、リリースする予定です。
中村:ここで展覧会をするアーティストのほとんどは、ここに宿泊していくんですが、少し意味合いなど変わってくるのも面白いですよね。ホワイトキューブだとアーティストも観客も「お邪魔します」という一線を置いた感じになると思うんですけど、泊まっているからかすごく自分のものになる。
ーWHITEHOUSEで開催される展覧会のキュレーションは3人がそれぞれ担当されます。
卯城:Chim↑Pomが、今秋に森美術館で個展を控えていることもあり忙しくなるので、僕がキュレーションする会期の長い展示は9月までに終えて、後半はほとんど2人の企画展になります。僕にとってはそこからがマジで楽しみですね。見れてこなかった地平を見れそう。
中村:アートだけではなく、カルチャー全般を包括するような展示も増えると思いますし私も楽しみ。
ー今後は「ユキ フジサワ(YUKI FUJISAWA)」を手掛ける、デザイナー藤澤ゆきの参加も予定されています。
涌井:どういう形になるかはまだ模索中ですが、全く別の方法論とアプローチで関われると思うので楽しみです。彼女とは出身大学も同じということで元々仲が良くて。アート系として触れられるファッションの方って、現代アートのフォームを使ってコンセプトを作り、ファッションをアート空間にインストールするみたいなことが多いように感じるんですよね。ファッションという自分自身の領域を権威化するためにアートの作法を取り入れるのは最もアート的ではないし、僕個人としてはその行為にあまりグッとこなくて。自分の領域でとことんやってきた手続きが、結果的にアート的であることの方が本道だな、と。ゆきちゃんはアートのことをそんなに考えていないし、そういう人と、アートのことばかり考えている俺らが一緒に何かできるかな、と思って声をかけました。今年の年末ごろには何かできないかと考えています。
卯城:僕はファッションに明るくないから知りたいんだけど、「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」とかも、コンセプトを立てることでファッションをアート空間にインストールするみたいな手法なの?
涌井:僕個人の見解ですけどリトゥンの場合は、素材研究的なところがあって。つまりファッションでしか扱えない素材などを使って、普遍化する時にアートの手法を使っている。だからむしろ、極めてファッションらしいファッションだし、あれをアートと呼ぶ必要もないかな、と。だからこそ、その態度はアートっぽくもあるんだと思います。コンセプトやテーマを使うことに無自覚になってしまって、有り体のフォーマットが出来上がっている分「それを使えば、ちょっとファッションから別の領域に行っている感が出る」みたいなのが多い。それは、ファッションに限らず音楽とかでもそうだと思います。例えば、美術館でテーマが設定されていて即興音楽が奏でられる、みたいなものは音楽がアート空間に入るための手法で、本質的には全然意味がないことをやっているな、と。テーマは作品や鑑賞を一元化してしまう恐れのある危険なものだという認識が少ない。だからこそ、アートに限らずカルチャー全般を対象に、新しいフォームを模索してみたいんですよね。
ー今後も会員制は継続する予定?
卯城:これは実験なので、別に見通しがちゃんとあってやっているわけではないです(笑)。でも、今のところは合理的だなとは思っています。面白い話があって。21歳の大学生がパスポートを保有してくれているんですが、コロナ禍で大学の授業は全てオンライン。友達ができづらい状況ですよね。でもここに来るようになってからは、WHITEHOUSEがコミュニティみたいになっていると言っていて。コミュニティを作ったつもりはないし、むしろ閉ざしているのにその子にとっては開かれたというのは面白いな、と。その他にも、いまの展示が24時間営業と聞きつけて、突発的な理由で家出をしてきた人がいたんですよ。その方にも一泊差し上げました(笑)。閉ざされているのか、開かれているのか謎ですよね。でも、やはりこの仕組みで一番大事なのは、作品や作家にとって、一般に配慮しすぎるような余計なレギュレーションを無くせることかな。それが作品や作家の本来の「あるべき姿」な気もするし。
(書き手:古堅明日香)
■WHITEHOUSE
住所:東京都新宿区百人町1丁目1-8
公式サイト/公式インスタグラム
■今生
会期:2021年7月3日(土)〜2021年7月23日(金)
営業時間:24時間
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