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高田賢三と私の37年間 KENZO創設者の横顔 【第2回】

バカンスを過ごすことの多かったプーケットにて。右下は、「K.T」の頭文字でポーズをとる高田賢三と鈴木三月(筆者)

IMAGE by: Yayoi Suzuki

バカンスを過ごすことの多かったプーケットにて。右下は、「K.T」の頭文字でポーズをとる高田賢三と鈴木三月(筆者)

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高田賢三と私の37年間 KENZO創設者の横顔 【第2回】

バカンスを過ごすことの多かったプーケットにて。右下は、「K.T」の頭文字でポーズをとる高田賢三と鈴木三月(筆者)

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高田賢三を公私にわたりサポートした一人の女性の手記・第1回からつづく——

1999年にKENZOブランドから離れた賢三さんは、世界中を旅していた。来日する機会も増え、翌2000年から私は本格的に賢三さんのビジネスパートナーとして活動することになった。

(2020年10月 C'est chouette 鈴木三月 手記)

2000年代——シャンパンと夕陽、失敗した日の優しさ

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日本に到着する時には、いつも空港まで車でお迎えに。パリを経つ前に必ず連絡をくれて、優しい賢三さんは「ホテルで待っていてくれれば良いから」と気を遣ってくれるけれど、気持ち良く滞在してもらうために送り迎えを続けてきた。ポケットやバッグの中に「持ってる?」と言われそうな物を一式用意して。お水、タバコ、ティッシュ——賢三さんはクリネックスと呼ぶ——、のど飴、時には大好きなどら焼きなどを揃えて、到着ロビーで待つのがルーティン。

何か聞かれてもすぐに答えられるように、頭の中も準備。メモを見て話すのは失礼かなと、忘れそうなことはこっそり手に書いていた。でもその当時は、到着される瞬間からド緊張。手汗がすごくて、結局メモが読めなかったことも。

数年間は決まったドライバーを手配していたのでお迎えもお願いしたのだが、ある時、空港からの道があまりにも空いていて、賢三さんが予定より早くホテルに到着。部屋でずいぶん長く待たせてしまったことがある。その時は(世界の高田賢三を待たせてしまった・・・)と汗だく。平謝りだったが、「大丈夫、気にしないで。日本語通じるしね」と、ウイットで受け止めてくれた。

羽田空港に到着したばかりの高田賢三。愛用のラゲージは「TUMI」(2018年、筆者提供)

帰国時には、いつも空港までお迎えに(2019年、筆者提供)

東京でよく滞在していたのは、マンダリン オリエンタル東京やパークハイアット東京、グランドハイアット東京など。近年は皇居の隣にあるパレスホテル東京が大のお気に入りだった。部屋に着いたらお風呂にお湯を張り、疲れをとってもらっている間に、賢三さんにとって必須のうがい薬やサプリメントなどを洗面台に置く。テーブルには、その季節の生花を飾る。いつだったか、和菓子を箱で用意していたら「引き出しにしまっておいて。夜中に全部食べちゃうといけないからね」と、いたずらっ子のような表情。粒あんには目がないのだ。

ラゲージから荷物を出して、ハンガーにかける。シワになっているものはプレスに出す。Tシャツ、肌着、靴下を、引き出しの定位置にしまう。

お風呂から上がったら、シャンパンでウエルカムをして、食事に向かうのがお決まりコース。何を食べたいかをあらかじめ考え、滞在中の夕食用のレストランは来日前に全て予約して準備万端にしておくのも大切な事のひとつだった。とても良かったのは、食の好みが合っていたことだ。

パレスホテル東京のテラスから夕陽を眺め、シャンパンを飲む至福の時(2019年、筆者提供)

近年も夜は本当にしっかり食べていたので、それが元気な証拠なんじゃないかなと思っていたくらい。お鮨、蕎麦懐石、鉄板焼き、焼肉。たまに釜めしも。滞在初日はしゃぶしゃぶが定番で、「油が落ちるしヘルシーだからね」とたくさん食べていたけど、お肉は特上の霜降りだ。

一方で、たまにひとりで過ごす時などは、コンビニで鮭やたらこのおにぎりを買って食べることも。「日本ってすごく便利だよね。おにぎりは美味しいし」と、とてもお気に入りだった。

————

何歳になっても好奇心旺盛。日本の滞在時にはよくワイドショーを見ていて、私たちスタッフよりも世間の話題に詳しいほど。移動中は「あのビルは何?」「あの山は?」と、なんでも知りたがる。運転していた時には「たぶん森ビルです」「アルプスですかね〜」などと、なんとなく答えてしまったことも。バックミラー越しに少し腑に落ちない表情が見えた時は反省した。

一度だけ、お酒の席で飲み過ぎてしまい、賢三さんに不愉快な思いをさせてしまった事がある。夜中に帰宅してから猛省し「なんて自分は最低なんだ」と寝れずに朝を迎えた。次の日の夕方にはまたお会いする約束がある。土下座で謝ろう。そう思ってお部屋に向かったら、「昨日はごめんね。お互いに酔っていたからね」とグラスを差し出してくれた。シャンパンを冷やしておいてくれたのだ。謝るのは私の方ですと、涙が溢れた。どんな時にも人の立場になって考える人なんだ、と胸に染みた。

————

2004年、高田賢三がデザイン、ファーストリテイリングが制作を手掛けたアテネオリンピック日本選手団公式服装と、当時の新聞記事

2004年、アテネオリンピック会場へ(筆者提供)

観客席で競技を見つめる高田賢三(中央)は真剣な表情(筆者提供)

賢三さんは、スピーチや人前でのお話があまり得意ではない。トークショーなどの時には、私がたたき台の原稿を作り、2人で添削していくという流れが多かった。

2004年のアテネオリンピック。賢三さんがデザインを手掛けた日本選手団の公式ユニフォームの記者会見の時も、少し緊張していた。何事にも真っ直ぐな方なので何度も練習し、いざスピーチの時。ところが「2004年」を「2040年」と言い間違えてしまった。そんな時、どうしようという目で舞台袖にいる私を見てくる。大丈夫です、と思い切りガッツポーズをして見せたら、持ち直して乗り切ることができた。

葛根湯はなぜか「コックントウ」になっていたし、セブンイレブンのことを、よく「イレブンセブン」と言っていた。六本木のつるとんたんは「つるとんさん」。最近ではホテルの窓からヘリコプターを見つけて「あれ、ドローン?」と真剣な顔で聞いてきたことがある。言い間違いというか、もしかしてジョーク? というほどユニークな賢三語録が、いつも場を和ませた。

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